空飛ぶ木造船

空想の産物

2026年4月12日

今日の作業時間は5時間くらいだった。手はそれなりに動かせたと思うが、結局やっていた作業が最後でまるまま無駄ということが判明したのであんまり何かが進んだ感じがしない。それでも時間を測るという目標は達成できたので、ひとまずよしとする。ただ、一つの方法に固執する悪い癖はどこかで直していかないといけないよな、と改めて思った。何も考えずとりあえず今見えている最善の道に突っ走って、それが最後ダメとわかるまでやってしまう。そしてダメだったという事実でショックを受けてやる気を無くすので、流石に精神が幼すぎる。年相応の精神を手に入れたい。

ポロモード・テクニックも試してみたが、窮屈な感じがして最初の1回で辞めてしまった。ただ、少し作業を始めるが楽だった気がするので、続けた方がいい気がする。いちいちスマホのタイマーを確認するのが手間に感じたので、もし続けるならそれ用のアプリとかを使って便利にするのがいいかもしれない。

明日は今日回しているシミュレーションが終わらないだろうから、研究はお休みにしてスーパー・アニメデー(溜まっているアニメを消化する日)にしようかな。また別のタスクと相談して明日決めよう。

2026年4月11日

7:00起床。何か予定がある日なら朝早く起きるのも苦ではない。今日は祖父の畑の手伝いに出かけた。昼間は暑いので、午前中に作業を終わらせるために早くから出かける必要があるのだ。

畑ではひたすらじゃがいもの摘心と草抜き。やることは家の庭のじゃがいもの手入れと全く同じだが、それが畝20本分くらいあるのでなかなかハードだ。

じゃがいも畑(一部)

草抜きをしていたらクソでかいミミズが出てきた。写真だとわかりにくいが、これで人差し指3本分くらいある。ちょっとした蛇みたいな大きさだった。

帰ってきて、お昼には今日採ってきたばかりのネギと菜の花を使った豚肉のラーメンを食べた。畑仕事で疲れた体に沁みる美味しさだった。

そのあとは疲れて2時間ほど昼寝をした。布団が干したばかりだったので、すごく気分良く寝てしまった。田舎のおばあちゃんちで夏休みを過ごす架空のガキみたいな1日になってしまった。

タスクの方はまあそれなりという出来だった。一応今日やろうと思っていたことは済んだので一安心。昨日の日記では僕の計画能力の不足について色々書いたが、今日作業をしていて、そもそも作業に着手する部分の方がもっと問題なのではないかという気がしてきた。作業を本格的に始めるまでにいろんなところに気が散ってなかなか手をつけられなかった。よくある問題だと思うが、どうしたらいいのか。受験期はスマホを触れられない場所に置いておくことで対処していたが、今はそもそもパソコンで作業しているのでこの作戦は使えない。

このような話をちょっと前に就職の面接でなぜか打ち明けてしまい、「俺って社会でやっていけると思いますか?」(原文ママ)と聞いてしまったのだが、面接官が優しかったのかその人はポモドーロ・テクニックを使ってなんとかやりくりしているという話を聞かせてくれた。その会社は案の定落ちてしまったが、今こそあの時のアドバイスを生かすべきかもしれない。明日から試してみようと思う。

2026年4月10日(苦手を分解する)

www.youtube.com

お昼ぐらいから晴れたので、『散歩の邪魔』を聞きながら少し暑いくらいの陽気の中をウキウキで歩いていたら、1時間も歩き続けてしまい、帰ってきた時には軽く汗をかいてしまっていた。その後本当はやらないといけないことがあったのだが、疲れ果てて結局長い昼寝をしてしまった。

今日もそうだったが、中長期的な計画を立てることと、その通りに行動したり時には計画自体を修正したりして大きめのタスクをこなすのがとても苦手だ。計画の立案・遂行・修正の全ての段階で常に困難が存在する。

  1. 計画段階
    • 必ず楽観的な予測に基づいて見通しを立ててしまう: 常に元気が最高潮で全力が出せて、かつ横入りのタスクがない前提で見通しを立てる
  2. 実行段階
    • 疲れた時は計画を投げ捨てて寝たり夜更かししたり必要のないタスクに逃げがち
  3. 修正段階
    • プライドを守るために楽観的な予測を手放せない: 最悪

いきなり全部を改善することは到底不可能なので、ワールドトリガーの有名なあの画像に倣って、困難をできるだけ小さいステップに細分化して立ち向かいたい。まず何をすればいい?多分修正段階から手をつけるべきだろうな。自分がどれくらいできないのか、どの程度時間をかければ何ができるのか理解するために、時間を測ってタスクの進捗率を測るというのを第一歩としたい。

それでも、将来のことを考えると頭がぼんやりしてしまうのはどうしたらいいんだろうか。今まで、特に高校までは、全力で動き続けて最後まで立っていられれば勝ち、みたいな戦法しか取ってこなかったから、先のことを考えて計画するという経験が全然ない。不都合な将来の事実に直面しながらそのストレスとうまく向き合いつつ、生活もタスクも並行してこなすノウハウが全くない。何をどう刻めばいいのかもよくわからない。できるだけ早く解決したいと思うが......今後の課題とする。

2026年4月9日

朝の散歩から帰ってきてしばらくすると雨が降り出して、今日は結局一日中雨だった。一昨日まで朗らかな陽気だったので、冷たい雨が降ってきて季節のより戻しを感じる。パソコンと向き合っていると足先が冷えて辛い。

anond.hatelabo.jp

雨が降っている日はこの増田の記事を思い出すことが多い。ADHDの特性に起因するハプニングを「仕方ない」と言ってその責任を引き受けようとしないパートナーとの関係に悩んでいる旨の投稿を引用して、次のようなことを主張している記事だ。

曰く、そもそも自由意志とは幻想に過ぎないのだが、それでも人間は自らの意思によって行動しその責任を取るという前提が社会の約束事として存在している。そのようなルールの上に成り立つ社会で生きる人間とうまく関係を結ぶために、本来は物理現象(=雨)に過ぎない人間の実在とフィクションである自由意志と責任の物語の間でちょうど良いバランスを見つけるべきだ、ということらしい。

それができないうちに彼女と結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独に人生を送ることになるだろう。

という一文が秀逸だ。

僕は自分のできなさを過分に器質的なものであるとか、医学的なものとして扱うことで、自分の責任から逃れようとしてしまう節がある。多分僕に限らず多くの人がそのような傾向を少しは持っていると思うし、自由意志が存在しないのだとすれば正しい態度ですらある。しかし、これは現代社会の中で生きようと思う限りは上記の前提と激しく衝突してしまう考え方だ。さらに、自分自身をコントロールできないものだと見なしてしまえば、全ての改善や前進が不可能だということになってしまい、僕は僕にだけ降るやまない雨に打たれながら、無意味に社会を憎むことしかできなくなってしまう。

自由意志と責任のフィクションはそのまま引き受けるにはとても重く、また特に現代社会ではその論理が前景化して重みを増してさえいる。それでも、自由意志という概念がフィクションに過ぎないことを認識し、責任の物語から適度な距離をとることで、程よい重量まで軽くすることはできるはずだ。そうした上で、僕を信じてくれる人たちやこの社会とうまく関係できるように、自分にできる範囲でその荷を担ぎ直したい、と思う。

2026年4月8日

あまりにもいい天気だったので、近所のパン屋さんでチキンカツサンドとクロワッサンとドーナツを買って、親と一緒に歩いてピクニックに出かけた。

少し風は肌寒かったが日差しは暖かかった。満開の桜の下でゆっくりとパンを食べた。

親が最近チョコの値段が高いと言うので、なぜ今チョコが値上がりしていて、それが長期間続くと見られているのかについて、カカオ農家の置かれた厳しい現状やその元となった歴史的経緯を踏まえて長々と説明をしてしまった。自分の中に溜め込んでいる蘊蓄みたいなものをベラベラと喋るのが一番気持ちよく、なんなら抑うつ気分からの回復に一番良いでは、とまで最近は感じている。これは僕の悪い"物知り博士"仕草でもあるのだが、それとはまた別の側面として、僕が1ターンの長い会話が好きだからかもしれない。寮ではよく、長々と自説を開陳して、それに対する質疑応答にさらに頭を捻って長々回答する、みたいな問答をやっていた。この時の成功体験というか、楽しかった記憶みたいなものがそうさせているのではなかろうか。あんまり一般的な形式の会話とは馴染まない方式なので、機会があると飛びついてしまう。

世間の人は長々とした自分の話を聞いてほしいと思ったとき、どこに行ってどんな話をするんだろう。

2026年4月7日

祖父の畑を手伝った時にもらったジャガイモの種芋が順調に育っていて、今日はその摘心をした。

左が摘心前で、右が摘心後のもの。芽が出てからは割と毎日見ていても変化がわかる程度には素早いスピードで育っていて、見ているだけで楽しい。どうやら芽かきをして切除した方の芽もうまくすればジャガイモをつけることがあるそうで、それも楽しみにしている。順調にいけば3ヶ月程度で元の10倍くらいの芋が生るらしい。プランターで育てているので少し狭いが、10個くらい採れるといいな。

土いじりをしていて、毎日を自分の庭の野菜の手入れと勉強や読書だけで過ごせたらいいのに、と思ってしまった。そしてたまに人に頼まれたプログラムを書いてみたり、家に友人を招いたり。完全に未来像が老後まで飛んでいる。いくつかの妥協をすればそういう生活も可能なのかもしれないが、まだそこまで撤退するべきじゃないと感じている。ちゃんと現役世代の時間と向き合いたい。

5回目の留年を決めてしまって以来、昔に友人が言っていた言葉を思い出すことが増えた。曰く、「長い間解決できないでいる課題は、それがどれだけつまらないものに思えても、その人にとってそれだけの時間に値するものだ」ということらしい。僕はこの言葉にすごく励まされている。留年自体や留年に至ってしまう私の課題にかかづらってもう5年、土の上から見てわかるような変化はまだないが、僕も少しずつ成長していると信じている。

2026年4月6日

今日は新イスクイルという、言語創作の世界では有名な言語の文法書の翻訳をしていた。といってもまだまだ始めたばかりなので、1ページ目の音韻論にしか触れていないが、それでも結構楽しい。3時間ぐらいかけて軟口蓋摩擦音とか口蓋垂摩擦音とかを練習していた。母音の区別のされ方(円唇・舌の位置・空間の広さ)とかも勉強した。

精神的不調で動けなくなってしまったときのセルフケアとして、最近は2、3日寝込んだ後にそのまま本来やるべきタスクに取り組むではなく、一旦楽しく没頭できることをやることで、自分が集中して何かに取り組むことができるという自覚と自信を高めるようにしている。これは自己肯定感・自己効力感を回復するのにとても役になっている気がする。だが、こんな生活は何も責任のない状態だからできることなので、8時間労働でもし心がキツくなってしまった時はどうしたらいいだろうかとも思っている。

明日は本物のタスクに取り組みたい。

2026年4月3日

今日は調子が悪い。今日は、というかここ2、3日はそうだ。こういう日はだいたい深呼吸をして涙を堪えるか眠気で頭をぼーっとさせるかしていると一日が終わってしまう。どこからともなく湧き上がってくる苦しみとか焦りとかと戦っていると、何もできずにただ時間だけが過ぎていく。

何もできないならできないなりにもっと自分の趣味とか別のことに時間を使いたいのだが、こういう日は頭もあんまり回らないのでそういうわけにもいかない。散歩でもして気分転換をした方がいいのだろうけど、そうすると泣いてしまいそうになるからそれもちょっと怖い。できるだけ何も考えないで済むようにYoutubeの動画を漠然と見て思考の隙間を埋めている。できればその中でも教養のある動画とか、もっと言えば新しいアニメを見たいのだが、それも頭の回転が悪いので避けてしまっている。

明日はもう少し明るい話がしたい。

2026年4月2日

僕の街にも桜の季節がやってきたらしく、いつもの散歩コースにあるちょっとしたお廟の庭園ではもう満開に近い状態だった。桜は花が咲くときに全く葉がないので、もちろん綺麗でもあるんだけど、どこか過剰な印象を受ける。

朝ごはんのスクランブルエッグを加熱するときに、いつもより多めに油を引いて少し揚げるような感じで作ったら、中華みたいな感じになって美味しかった。ちょっと不健康な美味しさだったので、家族に見られていないときにまたこっそり作ろうと思う。

2026年4月1日

いとこが中学生になるらしい。僕が大学に入学した頃はまだ小学生でもなかったあの子が。本当に恐ろしい。何が恐ろしいって、時の流れが早いとか、親戚の子供が育つスピードが速いとかそういうことでなく、僕がまだ大学生であるという事実だ。僕にとって、大学以降の時の流れは恐ろしくゆっくりだ。SFよろしくブラックホールに落ちた人みたいに、僕の外側では猛烈なスピードで時間が進んでいて、僕だけが止まっている。

留年特有の時間感覚について話したい。留年とは、さながらタイムリープだ。まどかを助けるために同じ1ヶ月を何度も繰り返すほむらや、エミリアを救うために何度も死に戻りを繰り返すナツキ・スバルのように、同じ時間の中でずっともがき苦しんでいる。3回とったことのある授業や5回とったことのある授業などザラなので、授業の中で先生がどこで脱線して雑談を始めるか完全にわかる。なんだったら先生の代わりにその雑談の続きが話せる。先生が息継ぎをする場所もわかる。わからないのはテストの内容だけだ。なぜならテストには1回も行けてないから。

しかし、留年している人間に全く進歩がないかと言われればそんなことはない。少しづつだが着実に成長している。6回目の授業ではテストまでたどり着けたし、単位ももらえた。ただ、大学や留年の強すぎる重力の中で、それを軽々と乗り越えて先へ先へと進んでいく人々を、暗くて深いポテンシャルの谷底で、戦々恐々としながら見送ってきた。

留年を繰り返す中で、何度もやればそれだけ少しは上手くなるということ学んだ。2回も3回も同じ授業を受ければ少しは理解も深まるし、課題を出すのだって簡単になる。なんだったら過去の自分のレポートが役にたつ。この点は死に戻りに似ている。自分の屍の分だけ高いところに進めるのだ。しかし、だからこそ、普通の人が恐ろしい。きっと彼らにも苦労や葛藤があるだろうし、手痛い失敗で眠れない夜もあるのだろうけれど、それでもタイムリープや死に戻りなしにうまくこなせてしまう人が恐ろしい。大学はまだいい。ただ、社会に出ても普通の人の2倍、3倍かけてやっと同じ成果ということになったら、もうどうすればいいんだろうか。伊達にこれまで平均以上を自認してきた分だけ、これからのことを恐れてしまっている。

それでも僕は、僕が僕という存在を引き受けて前に進めますように、と祈っていたい。

2025年6月14日(関数型まつり Day 1)

昨日から東京の友人の家に泊めてもらっている。彼は寮の入寮同期でとても仕事のでき、信頼のおける友人だ。何ヶ月か前までは日付が変わるくらいに家に帰ってくるような激務だったが、今は落ち着いており21時くらいには帰れるそうだ。それでもまあ十分大変だと思うのだが、けろっとした顔でこなしているので本当にすごい。そんな忙しい中快く僕を泊めもしてくれるというのだから、誠にありがたい限りでだ。

友人宅に泊めてもらってまでわざわざ東京くんだりまで出てきたのは、「関数型まつり」というカンファレンス(?)に参加するためだ。これまで「ScalaMatsuri」という名前でScalaコミュニティのカンファレンスだったものが対象を拡大し、名前を変えて新たに開催されたその第一回に参加することができた。とても楽しかったので、自分が聞いた講演の記録を残しておく。

  1. 型システムを知りたい人のための型検査機作成入門

    発表された遠藤さんはQuineで有名な方で、自分はアニメ『Sonny Boy』に出てきた"難解"のコードで以前作品を拝見したことのある方だった。講演の内容はTypeScriptを使いつつもかなり普遍的な型検査機の作り方を紹介するもので、すごくわかりやすかった。以前授業で型検査機を一度作ったことがあったため自分にとって新出の情報は少なかったが、聞いていてとても楽しかった。講演の最終目標は固検査機自体の型検査ということで爆速で進んでいき、プリミティブ型・関数型・再帰的な型の型検査について紹介して後は頑張ればできます方式だった。

  2. Rust世界の二つのモナド──Rust でも do 式をしてプログラムを直感的に記述する件について

    RustというよりはHaskell、もっと言えばモナドの話だった。Monad, Applicative, Functorの詳しい仕様について理解したわけではないのだが、Monadの関手っぽさ、計算f, g, hに対して (f o g) o h = f o (g o h)が成り立つという部分は理解できた。また、Monad, Applicative, Functorが要請する構造の強さが階層的になっており、その違いによって計算の順序の入れ替え可能性が異なるという話や、RustやLinear Haskellのようなリソース管理が強い言語(すなわちより弱い論理)において真の階層構造が発生するという内容は、全てを理解できたわけではないがとても興味深かった。

  3. AIと共に進化する開発手法:形式手法と関数型プログラミングの可能性

    今日一番ワクワクした講演はこれだった。Alloyという静的なオブジェクト同士の関係性について形式的に証明を行える言語と、TLA+という時相論理を用いた(特に分散システムなどの)時間に依存して変化する状態に対して証明が行える言語を用いてオンライン書店システムの仕様を検証し実装に落とし込むという構成だった。注目すべきは講演者は一行も直接的に形式証明や実装用のコードを作成しておらず、もっぱら仕様をAIに指示する形で作らせた点だ。まず曖昧な仕様をAIに与えてそれを形式化させ、形式化によって発見された矛盾を解決して完全な仕様を作り上げ、それをまたAIに形式証明へと起こさせて正しさを検証する。そして形式化された無矛盾で抜け漏れの無い仕様を元に実装を行わせるというワークフローはとても未来を感じさせるものだった。講演者曰く、このような仕組みがAIの進化によって必然的に必要になってくるという。すなわち、一つにはなんでもよしなにこなしてしまうAIにうまく指示を出すためのコミュニケーションツールとして形式言語ほど相応しいものはないということ、二つにはAIの進化によるアウトプットの爆増によってそれをチェックする側の人間の負担を減らすために形式化に頼らざるを得ないということだった。AIの活用やそれにまつわる問題意識として未来を先取りしていてとても良い講演だった。

  4. Elmのパフォーマンス、実際どうなの?ベンチマークに入門してみた

    Elmの入門かなと期待していたのだが、この一つ前にあった関数型言語を採用し、維持し、継続するという講演の方がどちらかというとそちら寄りだったよう。Elmを使ったWebアプリケーションのパフォーマンス改善を目指して試行錯誤する話だった。

  5. Effectの双対、Coeffect

    Effectを当然理解しているという前提から始まる爆速Coeffectの解説。Effect/Coeffectの型付け規則をながめて、「なるほど!(強制)」の掛け声と共に種々の性質を読み取っていく流れ。Effectが代数構造としては順序つきモノイドに、Coeffectが半環に一般化でき、またそれらの意味論がそれぞれ次数付き強モナド(Graded strong monad)と次数付き指数コモナド(Graded exponential comonad)に対応するため、双対ぽくなってるという話だった。こういう型システムや意味論の深い話って独学だとどうやって勉強したらいいんだろうか。とりあえずゼミが終わって暇になったら圏論の勉強再開したいなと思った。

  6. continuations: continued and to be continued

    継続はいろんなものと対応しているというお話。継続は力強すぎてgotoみたいな感じなので限定継続にしよう、そうすると実は継続・限定継続・モナドは同等の表現力をもっているらしい。また、継続はCSP(Continuation-Passing Style)変換を通して手続き型言語の最適化手法SSA(Static Single Assingment)とも対応している。あとモナドトランスファーとエフェクトハンドラも対応しているらしい。ちょっと前提知識が無さすぎて何にもわからなかった。そのうちHaskellをやりながら勉強したい。

  7. What I have learned from 15 years of functional programming

    『関数型ドメインモデリング』の著者によるとてもわかりやすい関数型的なコーディングの本質について説明。いつも難解な言葉で語られがちな関数型特有の概念がとても平易で直感的に理解できるよう説明されていて、改めて発見するような内容も多かった。もし関数型というものに興味があるものの手がでないという方がいたら、後日上がるこの講演の動画を見ることをお勧めしたい。

関数型まつり1日目を終えた後は、寮の先輩で会場近くに住んでいる人とご飯に行ってきた。彼は僕と一回り以上歳が離れているもののとてもフランクに接してくれる気のいい人だ。そんな彼と、もう一人寮のOBとで久しぶりにご飯を食べた。そこで来年には東京で一人暮らしをするのでアドバイスをくださいと言ったらいろんなことを教えてくれたのでここにメモをしておく。

  • 家は早めに探した方が良い: 月々1,2万円安くなることもある
  • 定期借家契約より普通借家契約の方が強い: 家賃の値上げを断り続けられる
  • 分譲賃貸マンションだと各部屋に鉄筋が入っていて強い
  • 自炊するならコンロ二つは必須
  • 西向きの家は避ける
  • コンセントがいくつかの壁にある家を選ぶ: 一人暮らしの部屋だと希少
  • 内見は大事
    • 内見する時は動画・写真を撮る
    • 内見する時は収納の大きさを確認する
    • 内見の前に家具の配置を考えておき、内見で各種の寸法を測る
  • 引越し作業は繁忙期を避ける
  • 引越し業者に頼むなら必ず相見積もりをする

明日も楽しみな発表が目白押しなのでここらで寝て明日に備えたい。

2025年6月13日

東京に来ると日記を書かざるを得ない。見知らぬ人混みの中をなんとかかき分けて進んでいくうちにどこかで自分の人格が擦り切れてしまうのではないか。これほどまでに人間が多いのに、どこにも知り合いはいないし風景も刺激が多いばかりで馴染みがなく無機質な場所ではこんな風に感じてしまう。それを取り戻そうとせめてもの反抗として自己表現に走ってしまう。

最近はYouTubeでVtuberの切り抜きが流れてくるような生活をしている。YouTubeの視聴履歴は割合よく僕の精神衛生を反映していて、最近はゼミの準備などで追い詰められているのでそういった感じの動画がホーム画面に並ぶようになっている。その中で、こういうサムネはままありがちなものだと思うのだが、女性Vなのに女性のキャラクターに興奮している(おいおい清楚w)みたいな煽りの動画が現れることがある。このような場面が全くの演技でできているとは思わないのだが、やはりそれは市場・視聴者に求められる(だからこそ切り抜き動画にもなる)からそういったシーンが存在するのだと思うし、そうなるとその背景に目が向いてしまう。それは彼ら視聴者が求めたからそこにあるのだ。では、彼らはそのことに気がついているのだろうか。彼らの凶暴で醜い欲望が画面いっぱいに広がっていることにどれだけ自覚的でいるんだろうか。建前ゼロのあまりに直球な欲望の発露がそこにあることに戸惑いを感じる。そういった欲望を喚起し拡大させることで成り立つエコシステムの上での出来事なので、全てを視聴者の責任に帰することはできないし、彼らもまた厳しい社会を生き抜く中でそういった選択肢を取らざるを無いのだと理解しているが、そうであればできればせめて彼らの欲望に自覚的であってほしい。僕の、そして彼らの画面いっぱいに映されているのは、僕や彼ら自身の醜い素っ裸の欲望なのだ。鏡に映った自分の裸体をしげしげと見ていることにどうか気づいてほしい。そして僕もまたこのとこを忘れないでいたいし、忘れないでいられるくらいの生活が送れるようになりたい。手を叩いて喜びながら自分の勃起したそれを眺めるというのはあまりにも悲しいから。

2025年4月6日(本当に美しい一日)

7:30。爆音で下のベッドから鳴り響くアラームに叩き起こされる。一部屋に4人、2台の2段ベッドで暮らす近年稀に見る共同生活も8年目となれば、新入寮生を迎え入れたばかりのこの時期にはこういったことも想定の範囲内だ。慌てず二度寝を決め込んだ。

10時半に寝床からなんとか抜け出て1日を始める。昨日までは8時までには起きていたが、昨夜の夜ふかしの影響で今日は比較的遅くに起きた。11時に部屋の住人たちと新しい冷蔵庫を設置する約束をしていたので、それまでに体を覚醒させ作業に取り掛かる。

新しく部屋に入ってきた人がそこそこの大きさの冷蔵庫を持ってきていて、部屋の共用物にして良いとのことだったので、今日はその設置を行なった。部屋で自炊をする人数が増え以前の冷蔵庫が手狭になってきていたのでとても嬉しい。廊下から電源をひき、部屋の前を片付け、冷蔵庫の扉の開閉方向を変えて無事設置が完了した。これが新しい部屋のメンバーでの初の共同作業となった。午前中から一仕事こなし充実感が体を満たした。

昨日作った鶏ハムを切り分けてお昼ご飯にいただく。昨日食べた分よりより美味しく感じられてなんだかとても嬉しくなった。自分で作ったものを自分で食べると、どうしようもなく存在する自分の体というものをどこか介護のように世話している気がしてあまり好きではない(ので手を抜きがちになる)のだが、今日の料理は美味しさがそれを打ち消してくれた。自分という存在を自分自身がきちんと責任を持って支えているのだという自負が湧いてきて、少しだけ自分のことが好きになれた気がした。

午後からは、寮内向けのWebアプリの開発会議に参加した。現状の問題点と今後の実装方針や仕様について確認を行い、各自作業をする。3時間ほど集中して作業に取り組めた。作業には一定の進捗が生まれたし、そもそも集中して作業をするのはそれ自体が快感だ。今後のやるべきことも明確になり、作業への意欲が高まり更なる充実感に包まれた。

18:00。しばらく前から、談話室の麻雀卓で役満を和了った人にご飯を奢るということ(通称、役満ラーメン)をしており、今日は春休み中に役満を和了った二人と共に、以前から行きたかった福仙楼に向かった。実際のところ普段はなかなか行けないお店に行って美味しいご飯を食べ、後輩たちと楽しくおしゃべりできるので、彼ら以上に僕自身がこの会を楽しんでいると思う。本来ならば和了った人たちの希望でご飯を決めるべきかもしれないが、いつも自分で行きたい店(ラーメン屋)を指定してしまう。みんな人がいいので素直についてきてくれて本当にありがたい。

3年ぶりくらいに食べた福仙楼スペシャルは本当に美味しかった。ほろほろになったスジ肉が舌の上にジューシーな味わいを生み出し、甘さを感じるほどの旨味が口一杯に広がる。スープは二郎系などに比べて脂っこすぎず、どこか中華の趣を感じられ、しかししっかりと豚骨の出汁が効いており、程よく入ったニンニクと共に更なる食欲を喚起させる。その香りと旨味に誘われるままに次々と麺を啜り野菜と肉を噛み締めているといつの間にか具材がなくなってしまい、そのままの勢いでスープまで完飲してしまった。今日はチートデイということにしておこう。言い訳とばかりに買っておいた胃薬とトクホの黒烏龍茶を飲み干した。

帰り際、腹ごなしに歩きませんかと提案してもらったので3人でゆっくりと帰り道を辿る。4回生・6回生・8回生の組み合わせでみんなこれまでの大学生活が全て順風満帆思い通りというわけでもなかったので、紆余曲折ある各々のこれまでの話や定番の受験の話をした。うまくいかないこともたくさんあるけれど、こうして明るく振り返ることができるのなら少しは救われた気持ちになる。

歩いて寮に戻りしばらく休憩を入れた後、福仙楼に行ったのと同じメンバーで銭湯へ。定期的にある寮のシャワーの不具合で、今回は一定以上の人数が同時にシャワーを使うと温水の勢いが著しく弱くなるという状態に陥っておりとても寮のシャワーでは体と心を清めることなどできないので、更なる幸福を求めて桜湯に向かった。幸いにも桜湯は空いており、とてもリラックスしてお湯に浸かることができた。自由に温水を浴びて湯船に浸かれるということは本当に素晴らしいことだ。この境遇が当たり前に手に入る身分になりたい。寮のシャワーへの愚痴や明日以降もそれに耐えなければならない不遇さについて盛り上がりつつ帰路についた。

今日という日は本当に美しい一日だった。死ぬ間際に思い出しても決して後悔しないくらい素晴らしい日。大学や仕事がなければ、自分のリソースをただその日の生活そのもの向けることができ、とても充実した日々が送れるのに。それでも、美しい思い出があればままならない日々も少しは前を向いて生きていけるかもしれない。

2025年2月5日

知らない土地の人間がいつも少し怒って見えるのは何故だろうか。仕事帰りのバスは少し混み合っていて窮屈だった。車内の黄色がかった灯りに照らされて、乗客たちは寛容さを失っているように見える。しかし、この推測は事実ではない。バスを降りようとしたとき、出口付近にいた人が僕に気づいておらず降りられずにいたが、ある親切な人が僕の存在をその人に知らせてくれた。どこの土地でもそうであるように、東京にもきちんと他人に善意を持って接してくれる人がいる。

僕から見える乗客たちの様子は、僕の心象風景だ。この土地にまだ馴染めていない僕の人々を恐れる心が彼らを不寛容に見せている。得体の知れない存在には観察者の目線が多分に投影される。会社に通い慣れ、通勤バスに慣れ、この都市の景色と一定の友好関係を築ければ、体を強張らせならがら家路を急ぐこともなくなるはずだ。

ガタガタと外階段を揺らしながら2階へ上がり、硬いベッドだけが待つ部屋の鍵を開ける。洗濯の用意をしてから風呂にお湯を溜め始める。自動で湯を溜められる風呂があるのはこの部屋の良いところだ。普段暮らす湯船なし個人スペースなしトイレ共有の寮生活に物質的な意味で大きな不満があるわけではないが、風呂だけは入りたくて仕方ない日が定期的に訪れる。なみなみと湯船に湛えられたお湯に遠慮なく飛び入る。これだけで精神がだいぶ回復する。

風呂から上がって飯を食いながら友人に電話をかける。相談事を口実に電話をかけたが、その実食事の時の話し相手が欲しかっただけだった。友人は親身に2時間ほど電話に付き合ってくれた。彼の近況とこれから起こりうるライフスタイルの変化について聞くことができた。人の人生について聞くのは楽しい。友人なら尚更だ。みんなにそれぞれ思いがあって、それが生活に現れる。物語が進んでいく。

明日は早めに出て早めに帰ろうと心に誓って少し早めに寝た。